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INTERVIEW

世界が一丸となって森を守れば、
地球の未来も守れる。
more trees代表 坂本龍一氏

— 前編 —

ANAが2009年にスタートさせたカーボン・オフセットプログラム。
航空機が排出するCO2を、豊かな森づくりによって埋め合わせるというこの画期的な取り組みは、
日本を代表する世界的音楽家、坂本龍一氏が代表を務める森林保全団体more treesとのコラボレーションによって実現しました。
さらに現在は、ANAの株主総会に使われる電力に伴い排出されるCO2のオフセットプログラムを実施しています。
今回は、坂本さんがmore treesを創設した背景や、今後のビジョンなどについてお話を伺いました。

編集:大野重和 (lefthands) / フォトグラファー:川口賢典(stoique)

2020.04

原発反対運動から始まった森林保全の取り組み

— まず、森林保全団体more treesがいつどのようにして始まったのかをお話しいただけますか?

坂本:設立は2007年になりますが、きっかけはその前年に、核燃料再処理工場が青森県六ヶ所村にあるということをたまたまWebか何かで知ったことです。普通の原子力発電所1年分の放射能を1日で出すと聞き、驚かされました。

それからというもの、友達や知人と盛んにこのことを話題にするようになったのですが、いつからかお決まりの標語のように出てきたのが「No nukes, more trees」という言葉でした。nukesとは原発のことですが、説明しないとなかなかわかってもらえません。でもmore treesは、誰に言ってもすぐに賛同してもらえる。シンプルだけれども強い言葉なのだと知り、じゃあ考えているだけでなく、実際に行動に出ようということになったのがきっかけです。


— なるほど、六ヶ所村から始まったのですね。

坂本:ええ。それまで僕は、森林のことなどまったく知りませんでした。でも、世界では毎日のように森林が失われていると知り、居ても立っても居られなくなったんです。手始めに、原発のある六ヶ所村に土地を買って、木を植えようと思い、まずは現地に行ってみたんです。そうしたらイメージと違って、六ヶ所村はそもそも森だらけだった。森と湖がある、自然豊かなとても美しい場所でした。ここにはこれ以上の木はいらないのだと、拍子抜けしました。

じゃあ、どこに木を植えるべきなのかと、生まれて初めて木や森に関心を持って調べ始めました。そうして知ったのが、森林の減少が世界的な問題である一方で、なんと日本は森が豊かな国だったという事実です。日本では新たに植えるよりも、むしろいまある森の手入れをしなくてはいけないということも知りました。そこで、さまざまな形での森林保全に取り組むための組織を作ろうと呼びかけ、形になったのが、more treesだったんです。


— more treesを立ち上げた背景には、何か必然的なタイミングのようなものがあったのでしょうか?

坂本:それが遅かったのか早かったのかはわかりませんが、遅すぎていないことを願っています。あの頃から比べれば、世の中的にもだいぶ意識が高まってきましたよね。特に去年から、スウェーデンのグレタさんが話題になって、より多くの人が環境問題に対して興味を持ってくれるようになりました。とはいえ、森林の減少はいまだに続いている状況ですから、まだまだやらなければいけないことは山積みです。


— グレタさん同様、世界的な音楽家である坂本さんもまた、環境問題に対する社会の関心を高めるうえで、大きな役割を果たされているはずです。

坂本:できる範囲で努力はしているのですが、その成果はまだ微々たるもので。日本の何万とある森林の、本当に小さい部分の保全活動に携わっていますが、それでももちろん、やらないよりはいいと思っています。その取り組みを知った個人や企業が、それぞれ自分たちのできることを考えてくれるようになればいいですね。

森が消えると、人類も滅びる

—そもそも坂本さんが環境問題を自分ごととして考え始めたのには、どんなきっかけがあったのでしょうか?

坂本:1992年、僕が40歳ぐらいの時だったと思います。ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで、世界で初めて環境にフォーカスした地球サミットが開催されました。このままだと地球は危ないと、初めて世界のリーダーたちが集まって大規模な会議を開いたわけです。その時に日本でも特集番組がつくられまして、気候変動によって恐ろしい水害や日照りなどの天災が起こるという。それを観てドキっとしました。その危機感が初めにあったのでしょう。

もうひとつ、その頃ちょうど老眼鏡をかけ始めて、自分の身体に起きている老化現象の実感を通して、自分も自然の一部だと気付いたんです。それからはおのずと食べ物や水、自分の健康を気にかけるようになりました。食べ物も水も、自然の一部ですよね。それが体内に入ってくる。環境と自分とはこんなに密接に繋がっているのだと知りました。情報として気が付いたことと、身体の変化によって気が付いたことが結びついて、大きなきっかけとなったんです。


— そこから坂本さんご自身も、山や森に出かけて行くようになったのでしょうか?

坂本:そうですね。僕は東京生まれの東京育ちなので、それまで自然は遠い存在でした。でもmore treesを立ち上げてからは、提携している森には1度は必ず足を運んでいるので、自然と触れ合う機会が増えました。


— 実際に森に出かけて、どんな新しい発見がありましたか?

坂本:植生にも針葉樹や広葉樹など実にいろいろあり、ひとつとして同じ森はないと知りました。また林業の形も、あるところではこういうやり方でやってきていて、他の場所ではそのやり方がまるで知られていなかったりなど、同じ日本でも意外なほどに歴史的、文化的遺産が共有されていないということに気が付きました。なので、more treesでは僕たちが関係している北は北海道から南は九州までの市町村の森に関わる方たちに3年に一度集まっていただいて、お互いの取り組みを発表しあい、共有する場としています。


— そこからナレッジシェアリングが生まれるということですね。more treesが目指している「森と人がずっとともに生きられる社会」についても教えていただけますか?

坂本:例えば、かつてあれだけ隆盛を極めたローマ帝国が衰退し、滅亡したのも、長い歴史を通じて地中海周辺の森林を伐採し、使いきってしまったことが理由のひとつだと言われています。またモアイ像で有名なイースター島も、かつてはあのような高度な建造物を造る文明があったのですが、やはり島の木をすべて伐採し尽くしたことで滅びてしまったそうです。

島というのは、地球を考える時にとてもいいモデルになります。地球も宇宙空間に浮く島のようなもので、その資源には限りがあります。いまその資源をすべて使いきってしまったら、もう未来がありません。

イースター島が滅びてしまったという歴史的事例を教訓に、地球が持続できるにはどうやって限られた天然資源を使っていくかを真剣に考えないと、地球全体が滅びてしまう。エジプトもそう。いまは砂漠が広がっていますが、エジプト文明が栄えていた頃には、非常に豊かな緑が生い茂っていたそうです。そして彼らもまた、それを使いきってしまった。一度砂漠化すると、もうなかなか元には戻らないということがよくわかります。森林伐採が続くアマゾンも、このままではいつか砂漠化してしまいます。人類全体の未来が、果たしてどこへ向かっているのか。非常に危機的状況にあることは間違いないわけで、いますぐ何とかしなければならないんです。

森が与えてくれる喜びとインスピレーションとは

— 人類は、いまの危機的状況を変えていけるでしょうか?

坂本:いまはちょうど新型コロナウィルスの感染が世界規模で拡大していて、レストランやバーなども閉鎖になり、しかもそれがいつまで続くか誰も分からない状況です。あるのは不安だけで、先が読めないし、まだ決定的なワクチンもない。そうした危機に際して人類は、各地で外出禁止令を出すなど、迅速に重大な決断をしていますね。
ところが地球の環境破壊に対しては、気候変動もその影響のひとつですが、新型コロナウィルスと同様に危険なことなのにもかかわらず、世界各国はなぜ同じように迅速な対策行動をとれないのでしょうか? いえ、本当はとれるはずなんです。いざという時の決断力と行動力については、今回証明されました。人は、見える敵に対しては怖いのですぐ逃げるのですが、見えないものや時間がかかるものには、なかなか重い腰を上げない。まだまだ幼稚な存在なのです。


— いまの新型コロナウィルスの体験を生かさなくてはいけませんね。

坂本:生存の危機が目の前に迫っているのに、見えていない。あるいはあえて目を背けている。行動すれば、最後に乗り越えることができるはずなのに。いまの人類なら、一丸となって本気を出せば、さまざまな先端テクノロジーや英知を持ち寄って対処することがきっとできるはずだと信じています。


— 坂本さんの活動の背景に、危機感というものがあると分かりました。もうひとつ、活動のやりがいやモチベーションはどこからくるのでしょうか?

坂本:僕は元来、気の短い人間でありまして。森を育てるかとか、東北の子どもたちに音楽教育を施すとか、どちらも気の遠くなるような長期的な取り組みなのに、なぜ気の短い僕がやっているのだろうと自分でも思うのですが。まあ、言い出してしまったから。やりだしてしまったから、という責任感が強いのでしょうね。
まあ、そう言いながらも、実際には各地の森に出かけて行って、その土地の人と酒を酌み交わしたり、はちみつをいただいたり、土地の美味しいものを食べさせてもらったり、そういうことが大きな楽しみになっています。森も多様なわけで、それを体験として知ることは非常に楽しいです。空気も綺麗ですし、そこにいるだけでリフレッシュにもリラクゼーションにもなっています。
子どものオーケストラの方も、普段関わることがなかった年代なので、貴重な体験になっていますね。そうした新しい体験を得られるという喜びが大きいです。森から教えられたり、子どもたちからインスピレーションを得る。それはかけがえのない体験ですね。


— 我々にとって坂本さんは憧れのシティボーイでした。それが本当に森の奥に分け入って、新しい世界に踏み込まれたのだと遠くから見て思っていました。

坂本:歳をとってくると、田舎に住んで窓を開けると、目の前に山があってとか――、そんな暮らしがしたいなという気持ちも湧いてくるのですが、やっぱり僕は、近くに美味しいレストランがないと困るし、新しい映画も観たいし、完全に田舎に住むのは難しいです。だからこそ、普段は都会に暮らしていても、時々は自然の中に出かけていくという喜びがあるのだと思います。


— more treesの活動と音楽活動、何か取り組むうえで共通するものはあるのでしょうか?

坂本:2011年の震災の後は、もっと自然の声を聴こうという思いになりました。地震と津波を経験して大きな衝撃を受けて、自然の強さをまざまざと見せつけられたので。その時に、自分はこれまで充分に自然の声に耳を傾けてこなかったのだと知りました。

以来、自分のつくる音楽でも、より自然の音というものを意識するようになりました。自然のような、というと難しいのですが、自然の音を意識して、自然の在り方を強く意識した音楽のつくり方に変わりました。そういう意味では、more treesの活動を通じて自然と向き合うことと本来の音楽の仕事が、より強く関係してきていると感じています。


— これまで出会ってきた中で、特に強く心に残っている森はどこでしょうか?

坂本:どの森も違う魅力で溢れていましたが、強いて言えば宮崎県諸塚村の森でしょうか。「九州のマチュピチュ」とも言われているそうで、雲の上の高地にあり、面積の95%が森林だそうです。長い歴史を持つ集落で、昔ながらの神楽も大切に残されていました。そこに行くのも大変な、深い山に囲まれた村なんですが、昭和30年代頃から主産業である林業だけに頼らないように、村の経済を4つの産業にリスクヘッジするという政策をとってきたそうです。当時の村長さんの発案らしいのですが、素晴らしい先見性だと驚かされました。そこに辿り着くまでのプロセスや、神秘的な景色も含めて、いまも忘れられない森のひとつになっています。


— ありがとうございます。後編では、この日本の美しい森を守るために私たち一人一人にできることについて、お話を伺えればと思います。

後編へ続く(5月更新予定です。お楽しみに。)

坂本龍一

Ryuichi Sakamoto

1952年東京生まれ。78年『千のナイフ』でソロデビュー。同年『YELLOW MAGIC ORCHESTRA (YMO)』を結成。散開後も多方面で活躍。映画『戦場のメリークリスマス』で英国アカデミー賞を、映画『ラストエンペラー』の音楽ではアカデミーオリジナル音楽作曲賞、グラミー賞などを受賞。環境や平和問題への言及も多く、森林保全団体more treesの創設、「stop rokkasho」、「NO NUKES」などの活動で脱原発支持を表明。また「東北ユースオーケストラ」など、音楽を通じた東北地方太平洋沖地震被災者支援活動も行う。

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